二つのクリスマス
わたしが今までに出会った最も殺伐なしかも平和なクリスマスの思い出話をしたのは、最もさびしいしかも賑やかなクリスマスの晩のことであった。
それは先の戦傷後、スイスの病院で腰骨入れ換えの大手術を受けて間もないころであった。全身ギブスに生き埋めの形で、教会のクリスマスをんでいるわたしをあわれんで、手術をした六人の医師が病床を囲んで会を催してくれたのであった。降誕祭の夜食と言えば、日本での元旦の雑煮のように、家族そろって祝う楽しい行事である。それをこの医師たちは犠牲にして、うそ寒い病室に集まってきた。レマン湖の鯉の上等料理を取り寄せ、シャンペンを抜き、Aドクトルがわたしの首にナプキンをかければ、Bドクトルはフォークを口に運び、大きな巣雛のように総がかりで食べさせる。それから夜の二時過ぎまで、且つ飲み且つ歌い、果ては次々と変わったクリスマスの思い出を語り合った。
そこでわたしも持ち出したのが次の話であった。
第一次大戦の塹壕の中で迎えた降誕祭のことである。我々は夜になっても続く烈しい戦闘と厳しい寒さに疲れきっていた。凍傷で脚を切断するようになるのを恐れて、めいめいサージンの空缶に炭火を入れ、靴に縛りつけていた。靴の底が焼けてジリジリいっても構わず、ただもうがむしゃらに、数十メートル先の敵の塹壕を目掛けて、ヘトヘトになりながら手榴弾を投げ合っていた。そしてだれもが心ひそかに故郷のクリスマスのことを思っていた。
そのうちとうとう一人が「ああ、今ごろはみんな教会で讃美歌を歌っているんだろうな」とつぶやくと、そばのが「どうだ、我々も一つ歌おうじゃないか」といきなり“天に光栄、地には平安”とクリスマスの聖歌を歌い出した。それにつられてあちこちから歌声が上がり、たちまち塹壕中は大合唱になってしまった。と、向こうのドイツ軍の塹壕がなんとなくひっそりしたと思うと、とたんに張りのある美しい何部合唱かで、我々のコーラスに加わってきた。こちらが気勢を上げて声を高めると、向こうも歯切れのよいドイツ語でますます調子をつける。負けじ劣らじと歌ううち、相手の合唱に代わる代わる耳を傾けるようになり、聞きながら次の歌を用意して、あちらがすむと、さあこれはどうだ、とばかり歌い出す。そうして思いだす限りの聖歌を、敵も味方もわれを忘れて、天にとどろけ地にも響けと、思うさま歌い抜いた。
やがてさすがに息が切れ、歌合戦の歌の種も尽きたとき、どちらももう手榴弾のことなどすっかり忘れ、いい気持ちでそのまま朝までぐうぐう寝てしまった。実に何年ぶりかの平和な眠りだった。相手の寝込みを襲おうなどという考えの夢にも浮かぶはずのないことを、双方とも確信していた。
それこそ一家族伝来の祭を共に喜び祝った兄弟のように、同じ歌の余韻に包まれて、安らかに眠ったのであった。