●カンドウ サウバー Sauveur Candau(1897-1955)カトリック教会司祭
 大正14年(1925)、パリ外国宣教会の司祭として来日し、教育、執筆、講演活動などを通じて日本に多彩な貢献をした。天才的な日本語力と深い人間愛から、日本の多くの人に慕われた。昭和30年(1955)東京で逝去。司馬遼太郎は、「南蛮の道」のなかで、”神父であり神学者でありかつ哲学者でもあったが、それ以上に優れた日本人でもあった”と彼を評している。

 本ブログでは、1955年「朝日コラム・シリーズ」の一冊として刊行されたカンドウ師の日本語随筆集「世界のうらおもて」から、順不同ではありますが1話ずつ掲載していきます。師の逝去から50年以上経過し、著作権はかかっていません。

2010年4月21日水曜日

青春回顧

 「人間、愚かであるより苦しむ方がましだ。だから自分は、もう一度後戻りして青春をいきたいなどとは思わない」とは、ティボンの言である。全く同感だ、ということは、自分も若いころあまり利口なまねはしなかったことを、白状することになるかもしれない。
 「先生はよく僕たちの心理がおわかりになる」と学生がほめてくれたりするとくすぐったくなる。こちらも覚えのあることは、わかるのが当然である。だいたい、前に若かったことのない年寄りなんてあるものではない。
 昔の自慢話よりも失敗談をしてくれる年長者というものはありがたい、とある青年が言った。”世界のうらおもて”などと、よそ事ばかり上げ下げして、自分の事は棚に上げっぱなしはちとズルイ、とある読者は言った。どちらももっともと思う。では一つお話ししよう。

 今は昔、生意気盛りの青二才としてパリのカトリック大学に通っていたころのことである。有名な哲学科教授ジャック・マリタン先生の講義には、週に一回質問の時間というものがあった。生徒が自由に疑問・駁論を持ち出して先生と議論を戦わせる。この時間になると、決まって難しい反対論を押し立てて華々しい論戦を展開するのが、いつも最前列に陣取っている一女学生だった。彼女のソプラノが教室に鳴り響き始めると、又とばかり、我々男子学生たるもの、あまりいい気持ちはしない。いつもいつも鳴りをひそめて黄色いさえずり拝聴しているばかりが能ではあるまい。ひとつ向こうを張ろうではないか、と仲間と奮起したのが運の尽きであった。最初の代表質問の役はわたしに当てられてしまった。何はともあれ非凡な質問を提出せねばならぬと、本棚から厚い本を引っぱりだし、ライプニッツの単子論に関する反対論に目をつけて、それを丁寧に暗記した。その駁論に対する回答の方もむろん胸に畳み込んだのである。
 さて当日になると、胸をドキつかせながら手を挙げ、震える声を押さえて、どうやら終わりまで質問を述べたてた。先生は、なるほどおもしろいクラシックな反対論であると言って、問題を根本から説明し始めた。せっかくの予備知識もどこへやら、わたしはたちまち、わけがわからなくなってしまった。相槌だけはもっともらしく打つものの、今にも何か聞かれはしまいかと生きた心地はなく、流れ落ちる冷汗は今でも背筋に思い出せる。・・・・・無慮一時間も続いたかと思われる説明の末、このくらいで納得できたかと聞かれたときは、拝みたいほどで、どんなもんだと見返ってやるはずの女子学生の姿など、目に入るどころではなかったのである。
 ウィリアム・ジェームスは言う。「自分は年を取って魂の不滅を信じるようになった。年を取るにつれてようやく、真に生きるに必要な知識が備わってきたと思うから」
 まことに同感というほかないのである。

2010年4月18日日曜日

車と風邪と字引と

 外国語のよい習得法は、と聞かれて、オウム式がよい、座禅式勉強法は感心しない、いいあんばいにすたれてきたようだがと答えると、たいていの人は妙な顔をする。自己流の命名だから、わからぬのも無理はない。
 ひと昔前は、電車に乗るたびに必ず一人や二人この座禅式をやっている学生を見かけたものだった。初めは、いったいどうしたのかと心配した。端座瞑目して膝に手をおき、まさに、無念無想のていで浮世を超脱している。よく見れば手にひと山のカードを握っていて、時々活を入れられたようにその一枚をパッとにらみ、また無言の行に帰る。この異様な修業が、実は日本全国に行われている外国語習得法だと悟るに及んで、わたしは驚嘆と疑問を感ぜずにはいられなかった。
 いったい単語さえ頭に詰めこんでおけば、それらがひとりでに繋ぎ合わされて、英文やドイツ文になって出て来るものではない。死んだ単語の収集より、文章の中で息の通っている述語を、辞書と相談の上で覚えて行くべきであろう。
 わたしが東西の語学の達人の勉強法を見て感じた秘訣は、辞書に親しむことのほかに、二つある。第一は口まね。すなわちオウム式である。第二に鵜呑み式。なぜどうしてという詮議は無用である。例えば「めでたい」という言葉に対して、目が出たかったらなぜ祝いの意味になるのか、と聞いたところで始まらない。気が気で無ければ、どうして心配を意味するか、と日本語の先生を困らせるようなフランス人には、まず上達の見込みはない、とわたしは太鼓判を押してやるのである。よその国でそう出来ている言葉はそう出来ているものとして、謙遜にそのまま呑みこむべきである。鵜呑み式と称するゆえんである。
 日本語を自在に操る外人の中でも、名人芸に達していたのは、十数年前に亡くなった前東京大司教レイ師だった。
 ある冬の寒い日、大司教閣下は人力車で外出した。なじみの車屋は車を引きながら、いろいろ愚痴話を聞かせる。こんな暮らしは全く情けない。諸式は高くなるばかり。朝から晩まで車を引いても手に残るものは酒代にもならぬ、等とこぼすうち、後ろの司教様はゴホンゴホンと咳きはじめた。
 「おや、だんな、風邪を引きなすったね」と心配そうに振り返るのに、レイ師は、やおら白ひげをなでながら、
 「そうじゃよ。ま、こうしたもんじゃ。なあ、お互いこの浮き世に生まれた上は、車か風邪かなにか引かにゃならんもんじゃ」と答えた。
 こういう、とっさの応酬をこなすほどになるまでには、どうしても座禅式ではいけない。カードに頼らず刻苦して辞書と取り組む勇気をもつべきである。レイ師の口ぶりをまねるなら、外国語を学ぶ上は、車か風邪かはともかく、字引きは引かにゃならんものと心得るべきであろう。