●カンドウ サウバー Sauveur Candau(1897-1955)カトリック教会司祭
 大正14年(1925)、パリ外国宣教会の司祭として来日し、教育、執筆、講演活動などを通じて日本に多彩な貢献をした。天才的な日本語力と深い人間愛から、日本の多くの人に慕われた。昭和30年(1955)東京で逝去。司馬遼太郎は、「南蛮の道」のなかで、”神父であり神学者でありかつ哲学者でもあったが、それ以上に優れた日本人でもあった”と彼を評している。

 本ブログでは、1955年「朝日コラム・シリーズ」の一冊として刊行されたカンドウ師の日本語随筆集「世界のうらおもて」から、順不同ではありますが1話ずつ掲載していきます。師の逝去から50年以上経過し、著作権はかかっていません。

2010年6月20日日曜日

母の心

 国の将来を憂えて多くの説をなす人が、必ずしも教育問題に関心をよせるではないことは、考えてみると不思議である。わずか二、三十年先の国家は、今の子供らの手で左右されるものである。とすれば、教育は最も重要な将来への布石であることは論をまたない。どんな子供も粗末には扱えぬはずである。
 先日九州のある孤児院を参観して、そこの教育法に大いに感心した。第一、孤児院と呼ぶことからして許さない。ここのモットーは、子供たちに孤児という意識を一切もたせぬことである。子供らは院長をお母様と呼び、他の修道女らをお姉様と呼んで、一大家族のにぎやかな中心となっている。彼らの教育にはひたすら母の愛をもって当たり、叱責よりも子供自身に正しく考えさせる指導をする、これが、他国の模倣を避け純日本式に考える院長の信条であるらしい。
 社会の日陰から集まった二百人恵まれぬ子らのうちには、扱いにくい性質も少なくない。A坊は徹底した怠け者のひねくれで、皆が手をやいていた。ある日院長は一緒に庭を散歩しながら、美しく咲いたバラの花を手折って少年に与えた。腕白坊主は受け取るが早いか、プイと捨ててしまった。院長は花を拾ってまた渡しながら、静かに言った。「何でもないようなものでも、大事にしてやると、立派のものになるのよ、このお花を地面にさして、毎日かわいがってお水をやってごらんなさい」坊主はふくれ顔で花を受け取った。渋々土に突きさしたバラの茎は根づき、いつか葉をのばし、翌年には庭中でいちばん見事な花を咲かせ、皆の賛嘆を浴びた。この時からA坊の性格はすっかり変わり、最も勤勉な優しい子供になった。
 B坊は底ぬけの食いしん坊だった。多人数のことゆえ、御飯は丼に盛り切り一杯と決まっていた。B坊が飯を盛るとき、隣りの子にはフワリと底から持ち上げ、自分の丼には押しずしのように詰めこむのを院長は見た。その場は何も言わずにおき、それから折を見て、人への思いやり吹き込むような話を聞かせた。やがてある日、この食いしん坊が自分の丼から飯をすくい出しては院長の碗に入れるのを見つけて、わけをきくと「このごろお母様がやせたから、もっと食べさせたいんだ」と答えた。生みの母ならぬこの”お母さま”は嬉し涙を隠しようもなかった、とわたしに語った。
 近年ヨーロッパ各地にも家庭精神による孤児収容所が多大の成功をおさめている。自らも少年感化院の出で、自己の体験と不幸な子らへの愛情でりっぱな保護院を設立した人の例もフランスにある。
 子供の教育はいつ始めるべきかとの問いに対して、ナポレオンは「子供の生まれる二十年前、その母親の教育から始めよ」と答えたという。
 いかにも、いろいろな意味で、真の教育は教育者から、母の心の教育から始めるべきであろう。

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